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2022.03.16 鈴木 一之
「行動が変わる時」というものが確かにある
ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始して20日が経過しました。停戦交渉が重ねられ解決の糸口を探す努力が続いていますが、まだ先行きは見えません。
ウクライナの男性たちは国に残って祖国のために武器を持って戦う決意を固めています。女性とお年寄り、子供たちは故郷と家を離れて国境を越えて逃れます。難民の数は300万人に迫りました。市街地では黒焦げのビルが粉々になり、敵国に制圧された夜の原発が不気味な光を発しています。
信じられない光景が毎日のように映像で飛び込んできます。欧州各国は臨戦態勢を固め、急いで法律を制定し、支援物資を送り国を挙げてウクライナ難民を支えています。
これらの出来事を私自身のこととして考えた場合、同じような状況に直面した時に果たして銃を持って戦えるのか、目の前の敵を打てるのか。これまで考えたこともない事柄ですが、いきなり突きつけられました。そのような生きるか死ぬかの時に正しい行動がとれるのか、と自問してしまいます。
これまでにも「世の中が変わった」とされる状況に幾度か直面してきました。阪神大震災が起こった直後がそうでした。東日本大震災と福島第一原発の事故が起きた時もそうです。リーマンショックの直後、コロナウイルスの感染拡大も現在進行形でそのようなことが指摘されました。
実際に日ごろの私自身の行動はいくらか変わりました。しかしそれにもいつか慣れてしまい、また自然と元の状態に戻ってゆきました。今回のウクライナ戦争もそうなのでしょうか。以前とは少し違うように思います。かつての行動変容のショックをはるかに上回るような気がします。
ロシアとウクライナの政府当事者間の停戦交渉は、数回の対面方式を経て、いまではオンライン方式に代わっています。ロシアは見えないところで猛烈なサイバー攻撃を仕掛けているようですが、対するウクライナはそれを上回る規模でサイバー防御を徹底的に行っているといいます。
すべてはネット上の空間に移行しています。目に見える部分はほんのわずかでしかありません。日本国という大きな枠組みもそうですが、自分自身がこれからどのように考え、行動してゆくのか。もっと下の方の階層に降りていって考えなくてはと思う毎日です。
(スズカズ)