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2022.03.02 鈴木 一之

「セカンドハンドの時代」を読み返す

ウクライナに対するロシアの武力行使を強く非難します。ロシアは一刻も早く非人道的な殺戮行為を止め、部隊を撤収するべきです。

私は臆病者ですが、文章の発表の機会があるたびにこのような一文を冒頭に掲げるようになりました。何もできないのですが何もしないでいることが許されないような気持ちにかられます。

第二次世界大戦以来、武力による国境線の変更は初めてとなるそうです。ロシアはこの先、国際社会からまともに扱ってもらえるようになるためにどれくらいの時間を要するのでしょうか。罪のないロシア国民が気の毒でなりません。

ウクライナ、ベラルーシという国の名を聞くたびに、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチを思い出します。「チェルノブイリの祈り」、「戦争は女の顔をしていない」の作品で知られる、ウクライナ生まれ、ベラルーシ育ちのノーベル賞作家です。

日本ではそれほど多くの作品が翻訳されているわけではありません。その中で最も好きなのが「セカンドハンドの時代」です。冷戦の終結で崩壊したソビエト連邦と、その後に誕生したロシアの時代を生きる人々の、1990年代から2000年代の20年間にまたがる人々の気持ちを淡々とつづった作品です。

膨大な人々のインタビューでまとめられてます。極限状態に置かれている無数の名もなき人々の、過酷な状況の真っただ中にあってふと見せる小さな真実が、数えきれないほど集められています。

ごく普通の人々の個人的な思い出や秘密が本音ベースで集めており、その場を生きた人が知る真実の姿を追体験することができます。作りものではない迫力、重みに圧倒され、平易な言葉なのにどの作品も途中から読むのがつらくなってきます。

「セカンドハンドの時代」では、ソビエト連邦からロシアへ。共産主義革命の恐怖の囲いの中で暮らしてきてロシアの人々が、あれほどまでに憧れた西側諸国と同じ自由を手にして、そこで味わった失望、苦痛、絶望があふれています。

スターリン時代は悲惨でしたが、貧しいながらもまだみんな平等でした。今は自由を手にしても平等ではない。それゆえみんなスターリン時代を懐かしがっています。

自殺者とアルコール依存症が激増して、昔を知る多くの人が共産党時代に戻りたいと願っているという事実。かつてロシアと同じ帝国、同じ政治体制下にあったウクライナも、状況は似たようなものだといいます。

「ベルリンの壁」崩壊から30年が過ぎました。長い時間が過ぎたようでいて、まだ完全に風化してしまったわけでもありません。距離的・時間的にもいまだ欧州は地続きで、ペレストロイカ以前の体制に戻りたがっている人も年配の層を中心にロシアではいまだ多く存在します。

プーチン氏の行っている破壊行為は断じて許されませんが、ロシアおよびウクライナ国民が心の奥底に抱えている意識の一端を、私たちはまるで知らないのではないかと思うようになりました。「セカンドハンドの時代」の大著をあらためて読み返しているところです。
(スズカズ)